めも。

ごーばっくきゃんでぃはうす

坂道/折坂悠太

 

 

 

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きのうはなんだか急に心が乏しくなってしまって、真っ暗な部屋で寝転びながらわんわん泣いた。

 

今になって思うと、あれは、

ホームシックってやつ、だろうか。

 

ネガティヴな事柄はあまり口にしないに限る、と気持ちのどこかで虚勢を張っていたけど、こちらでもあまり良くない内容のブログを更新したりして、その前兆は大いにあったと考えられる。

 

わんわん泣きながら、ぶつぶつ呟くものだから自分でも支離滅裂に収集が付かなくなって、参った。

気が付いたら眠りに落ちていた。

 

朝4時とか、5時に一度目が覚めてしまう生活は、母宅に居るときからで、もう1年は続いているようにおもう。

 

多少、冴え切った頭で

吸う煙草が美味しいんだ。

 

きのうはなんでわたし泣いていたっけな?、って振り返って阿呆らしくなって、明るくなってきたカーテンの隙間から溢れる光から逃げるように、一服後、また、すぐ就寝した。

 

 

母宅をバスで横切る。

横目で見ながら朝、何回も、停車ボタンを押したくなるきもちを抑えて出勤する。

 

わたしは、常に何かしらに依存する体質で、母に多大なる迷惑でしかない負担を掛けてきた。

 

だから、わたしと住むのはもう、限界だ。と母が切り出したちょうど1年前は、本当に惑ったし、そこからいまの場所に這い上がるまでが大変だった。

 

そんな気持ちを抱いたままの母と、一緒に暮らす小さな家も、ただただ、わたしには苦痛な事でしか、日々、埋まらなくなってきていた。

 

 

 

わたしだって、限界だ。

 

そう感じていたけど、洗濯や料理、掃除を今まで一切してこなかったわたしに、それらを任せっきりの母に、伝える義理なんてなく。、ジレンマだったように、今はおもう。

 

 

母だって仕事以外で、ゆっくりするぐらい赦されていい。

わたしがそうであるように。

 

 

母は、もうわたしがこの歳になれば、

いつまでも、わたしの母、をしてはいられない。

 

 

 

わかっていたけれど、わたしはきっとどこかでさみしくて仕方なかった。

 

 

母離れすることが、さみしくて仕方がなかった。

 

 

 

いつも誰かや何かに依存していくわたしは、変化をあまり好まず、いつまでたっても、変わらなかったし、今でも変わることを畏れている。

 

 

 

 

新しい環境は刺激的だけど、ここまで走ってきて、ちょっと疲れちゃったんだとおもう。

 

 

今はまだ整理が付かずにいるから、

垂れ流しても。また、きのうの晩みたいなことになりそうだ。

 

 

 

やめよう。、

 

 

 

 

 

 

今日は入浴剤の新しいのを買ってきた。

 

 

 

 

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ゆっくりお風呂に入って、

また朝方起きて、

 

美味しい煙草を、吸うよ。